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あゆみ【入院編】母の記録より

私たち家族は、事故当時同じように脳に傷を負ってしまった方々や、ご家族が発信した情報にどんなに勇気づけられたかわかりません。私たち家族の取り組みが、苦しい思いをしている皆さんのお役にたてたらと思います。

2003年3月15日(0日)脳低体温療法
卓哉は、妹と二人で塾からの帰り道、横断歩道を自転車で渡っているとき、スピード違反の車にはねられてしまいました。私は仕事場のレッスン室に取り次がれた電話で卓哉の事故を知りました。
「またあ。卓哉がそんなことになるはずがない。何かの間違い。きっと帰ったら『けがしちゃった・・・』などと卓哉は笑っているに決まっている。」そんなことを思いながら車を走らせました。

病院につくと、卓哉は救命救急センターの中でした。看護師さんが「ご両親はまだなの!?」と叫ぶ声が廊下に聞こえました。「落ち着いて!いい? 落ち着いて聞いてください。」と何度もおっしゃいました。「頭を強く打っているので意識はありません。瞳孔が開きかかっているのでかなり危険な状態です。今全身を調べていますので医師の説明があるまでお待ちください。」というようなことを言われたと記憶しています。

医師からの説明は、それから何分後だったか。「頭蓋骨骨折、脳挫傷、くも膜下出血、硬膜外・硬膜下血腫、びまん性軸索損傷、鎖骨・肋骨骨折、肺挫傷…。現在は、人工呼吸器をつけています。頭の中の出血がこのまま増えれば、開頭手術をしなければならないが、まずは 低温療法にして脳を眠らせた状態にし、脳圧が上がらないようにします。」とのこと。「助かるかどうかは大変危険な状態。脳幹部の傷がどのように作用するかわからないが、目覚めないこともあります。」と言われました。
私の頭の中で何が起こっているのか信じることができず、強い吐き気を覚えてうずくまりました。主人は母と泣き崩れました。ICUへ

3月16日(1日)
am3:00の出血はほぼ止まる。まずは脳の腫れを抑え、脳細胞は大丈夫そうなので、それを橋渡ししている器官が壊れてしまっている。しかしそれは再生するのでまだ望みはある。お医者さんもそれにかけているという。pm2:30-脳の腫れはおさえられている状態で良好。体温は35度くらいに管理

3月17日(2日)
復温・・体温を元に戻す
音楽運動療法のチームが脳波を図る・・パソコンとつながってすごい配線。好きな音楽など耳からの刺激が良いと言われ、MDウォークマンをそばにおいてもらいました。

3月18日(3日)
CT4回目。一日かけて麻酔薬を抜く。脳圧が上がらなければ頭に埋め込まれた脳内モニターを外すとのこと。

3月19日(4日)
校長先生、担任の先生、交通指導員さんが来院。ICU内にて卒業式。卓哉の手に卒業証書を触らせ、いただいたスイートピーのポラロイド写真とともに枕元に置きました。花言葉・・・「卒業」

3月20日(5日)
人工呼吸器を外す・・自発呼吸に酸素を足す。
足をさするとよいと言われ、足の裏をマッサージ。私の声に反応するように口を動かしたり手を動かしたりするように見える。Pm6:00面会時、もっとよくなっているのでは?と思い行ってみると、また熱が高い。氷を抱いて冷やす。けいれん発作をしているように手足が震え、よだれに血が混じっていて痛々しい。痰が多く心配。

3月21日(6日)
血圧・脳圧共に変動が激しい。38度以上の高熱。(冷やす)痰の量多し。今日から流動食を胃に直接入れる。380net の純生君の闘病日記に勇気付けられる

3月23日(8日)
今まで『ナシ』だったまつ毛反射が「鈍」になった。

3月24日(9日)
頭の中の脳圧モニターを外せた。


3月25日(10日)
やっとICUからHCUへ・・卓哉おめでとう
ずっと付き添うことができるようになる。話しかけなどの良い刺激が必要。教授回診の時初めて目をあく。 夕方、高血圧の薬終了

3月28日(13日)
リハビリ開始 ・・関節が固まらないように動かしてもらう

3月30日(15日)
発作のような硬直ではあるが、両目を開く

3月31日(16日)
去痰のペースは30分に1度くらい。痰がたまって苦しくなると目をあく。あごの骨折が見つかる。
ルフィのMDに表情が明るくなったように見える。

4月2日(18日)
手術。あごの固定手術、気管切開

4月5日(21日)
『水上卓哉くーん』と声をかけると右手を動かす。

4月11日(27日)
追加の酸素量をゼロに。“13歳のお誕生日おめでとう”

4月14日(30日)
『お母さんを見て』と言ったら首を回して私を見て目を合わせることができた。

4月17日(33日)
今まで入っていた手足の力が入らない。便は浣腸しないと出ない。車いすの使用を許可・・意識レベル向上につながるとよい。

4月21日(37日)
一般病棟に。 リハビリは眠くて訓練にならない

4月29日(45日)
名古屋少年少女合唱団の男子15名ほど。1階の芝生まで車いすで降り、アカペラで5~6曲歌ってくれた。

4月30日(46日)
リハビリにて初めて先生の指示にこたえる。・・「オレンジの風船に触ろう」というと届かないながらも手を伸ばす。
一応この日を意識の戻った日とする

5月5日(51日)
音楽運動療法1回目。初めて立たせてもらった

5月7日(53日)
あごの固定のワイヤーをはずす。

5月12日(58日)
おしっこ?と聞くと「○・・マルのサイン(おしっこがでた)」と教える。言語療法が加わる。
写真カードを見せて「この写真はどっち?」をした。「カメラ」も「電話」もわからなかった。
経管栄養中に鼻のチューブを引き抜こうとする。危ない、栄養中はしっかり見ていないと・・。

5月15日(61日)
歯科「開口訓練」体をよじって痛がったが、よくがんばった。

5月18日(64日)
初めて尿器を使うことができる。

5月19日(65日)
経口にてゼリーやプリンが食べられるようになる。初めて笑う。

5月24日(70日)
音楽運動療法2回目。首のカラーをはずす。

5月27日(73日)
刻み食 + 軟飯
[リハビリ]足の訓練、座る練習 [言語]手話サイン、スプーン練習

6月3日(80日)
気管のカニュレを変えても息漏れのような音しか出ない。「お・う・ち・か・え・る」ばかり口でサインを出すが、呼気と合わない

6月9日(86日)
抜管…気管からチューブを抜くことができた。のどの穴をふさぐ

6月13日(90日)
左足が初めて上がる

6月14日(91日)
初めての外泊・・・事故後初めて自宅にもどる

~愛知医大病院脳外科病棟にて~

8月8日(146日)
転院…名古屋市総合リハビリテーションセンターに

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2003年8月~10月(受傷後5~7か月)
名古屋市総合リハビリテーションセンターは基本的に成人を対象とした病院なので、親が、子供ならではの細かいケアは全部担当していました。
同病院では車いすでの生活を中心としたリハビリを8週間行いました。
心理の訓練(高次脳機能障害のための訓練)で出されたプリントをやりきる集中力がない。杖を使った訓練をするが、足のもつれ、バランスの悪さからいつ転倒してもおかしくないため、介助者は常に手を添えて とっさの対応ができるようにして練習させなければなりません。
また、集中力、意欲、計画性などがダメになっているようで、すべての行動、訓練、課題には、常に見守り、励まし、声をかけ、気持ちを集中させること、やる気を長く持たせ続けることが必要でした。

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2003年10月9日~11月27日(受傷後7~8か月)
青い鳥医療センターに転院
入所してリハビリと自立のための訓練をしながら併設の「名古屋養護学校 中等部」に復学

2003年11月27日退院
自宅から名古屋養護学校に通学
名古屋市総合リハビリテーションセンターに通院してリハビリ

2004年4月~
地元の山田東中学校に親子通学

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2011/10/09